子どもの幼稚園の先生から、アプリで届く毎月のおたより。
月末に読むのが、私の楽しみのひとつです。
「今月はこんな遊びをしていました。」
「お友達とこんなやり取りがありました。」
「プールではこんな表情を見せてくれました。」
家では見られない息子の姿を知ることができて、「幼稚園で楽しく過ごしているんだな」と安心できます。
年中になってからも変わらず、一人ひとりの様子を丁寧に書いてくださる先生。
忙しい毎日の中で、よくここまで見てくださっているなぁと、いつも感謝しながら読んでいました。
そんなある日、いつものように夫にもそのおたよりを見せると、返ってきたのは意外な一言でした。

…これ、AIやね
その言葉を聞いた瞬間、私はなぜかショックでした。
確かに文章を読み返すと、
「○○な○○くん。」
「○○を楽しんでいる○○くん。」
「○○している姿が印象的でした。」
そんな表現が何度も続いていて、少し不自然さは感じていました。
でも、それ以上に

幼稚園でこんなことをしていたんだ。先生、よく見てくれているな。
そんな気持ちで読んでいたので、「AI」という言葉を聞いた瞬間、なぜか価値が下がったような気持ちになってしまいました。
「もしAIが書いているなら、このおたよりはいらないのでは…?」
一瞬、そう思ったくらいです。
でも、少し時間がたって考え直しました。
先生は毎日の保育の中で、息子の様子をちゃんと見て、気付いたことを記録している。
プールで楽しそうだったこと。
友達とのやり取り。
何気ない発言。
それらは全部、本当に息子に起こった出来事です。
AIがもし使われているとしても、それは「文章を整えるための道具」。
事実を作っているわけではありません。
夫も言いました。

AIに仕上げてもらうにしても、最後は自分で修正すべき。そのセンスだと思う。
その言葉に、私はすごく納得しました。
AIは文章を作ることはできる。
でも、「この言い回しで本当に伝わるかな」「この一文はいらないかな」と考えて整えるのは、人の役目です。
AIを使うことが目的ではなく、AIを使って、より伝わる文章に仕上げること。
そこに、その人らしさが残るのだと思いました。
そして、もう一つ気付いたことがあります。
私は毎月、

先生、忙しいのにここまで書いてくださって本当にありがたい。
そう思っていたはずでした。
それなのに「AIかもしれない」と思った瞬間、その感謝の気持ちを忘れてしまっていたのです。
考えてみれば、先生方は毎日たくさんの子どもたちを見守り、保育をし、安全に過ごせるよう気を配りながら、おたよりまで作ってくださっています。
もしAIを活用することで、その時間を少しでも短縮できるなら、その分、子どもたちと向き合う時間が増えるのかもしれません。
それなら、それは悪いことではない。
むしろ、これからの時代に必要な業務改善なのだと思います。
今回の出来事で感じたモヤモヤ。
振り返ると、それは「AIを使っていること」ではなく、「AIを使ったあとに、自分の想いや温度あるのか」を無意識に感じ取っていたのかもしれません。
AIは便利です。
私自身もブログを書くときにたくさん助けてもらっています。
でも最後に読み返し、「これは私の言葉かな」と考える時間を、大切にしています。
そのひと手間こそが、AI時代の”自分らしさの生かしかた”なのかもしれない。
そう感じた出来事でした。
そして来月も、先生から届くおたよりを楽しみに待ちながら、「子どもたちのために毎日ありがとうございます」という気持ちを忘れずにいたいと思います。
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この文章もAIを活用しています(・∀・)
AIちゃんに助けてもらうようになって、ブログに使う時間が半減しました。
感謝ーーーー(ΦωΦ)




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