PR

【ルポ『誰が国語力を殺すのか』を読んで】私がひかれる、国語の力

教師の経験

最近読んでいる本があります。
それが、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』です。

どこを読んでも面白い。

私はこれまで、本を最後まで読み切れないことがよくありました。
途中で別の本に目移りしたり、興味がそれてしまったりしてしまいます。

けれど今回は違います。

「最後まで読まないと」ではなく、
「最後まで読みたい」と思っています。

その気持ちが、自分でも少しうれしい。。。

序章に吸い込まれました!
誰が?! 家庭が?学校が?ネットかゲームが?!

国語と離れて10年以上

私は元中学校の国語教師です。
言葉と向き合う時間は、人生の中でとても長いものでした。

けれど、子どもが生まれて休職し、そのまま退職しました。
気づけば、国語の現場から離れて13年以上が経っています。

日々の育児に追われる中で、
教材研究をすることも、子どもたちの作文を読むこともなくなりました。

それでもこの本を読み進めるうちに、
「ああ、私はやっぱりこれが好きなんだ」と改めて感じました。

言葉や表現を通して子どもの心を考えること。
教育と発達心理が交わるあの時間が、私は好きだったのだと思います。

中学校は、いかに…

言葉は、心の出口

前回のブログ「キモイの向こう側にあったもの」でも、
私は言葉について考えていました。

たった一言の「キモイ」の向こう側に、
どれだけの感情が隠れているのか。

クラスの雰囲気かもしれない。ただのつぶやきかもしれない。

言葉は、ただの音ではなく、
その子の心の出口、と感じています。


子どもが“自分の言葉”を持つということ

子どもが自分の考えを言葉で表現できること。

それはきっと、

・自己実現への第一歩であり
・夢へ向かう土台であり
・「わからない」と言える勇気であり
・「しんどい」と助けを求められる力でもあります。

自分の気持ちを言葉にできることは、
自分自身を大切に扱えるということにつながるのではないでしょうか。

国語の授業とは、
単に読解問題を解く時間ではなく、
自分の内側を言葉で探る時間でもあったのだと、今になって思います。


形が変わっても、軸は変わらない

私はもう教壇には立っていません。
けれど、4人の子どもを育てる中で、
毎日たくさんの「言葉」と向き合っています。

姉妹弟きょうだいげんかの言い分。
うれしかったことの報告。
言葉にできずに涙だけが出る時間。

その一つ一つが、
子どもたちの「国語力」の芽なのかもしれません。

この本では学校現場での先生方の困惑や、国語科の課題なども知ることができます。

国語の現場から離れて10年以上。
それでも私は、やっぱり❝ことば・教育・心理❝に惹かれます。

この本を最後まで「読みたい」と思えたことが、
その証のような気がしています。

人気ブログランキングでフォローPVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました