―『さかなをたべたあとのほね』を読んで―
先日、小学校でのお話し会(ストーリーテリングと絵本の読み聞かせ)に読み手として参加しました。私は
『さかなをたべたあとのほね』(作:加藤 休ミ)を読みました。

魚一匹が、調理されて、食べたあとの骨が、ユニークな発想で描かれている絵本。
「骨ってこんなに違いがあるんだ!」という反応を想像していました。
でも――
ページをめくった瞬間、小さな声が聞こえました。

「きしょい」
「キモイ」
その言葉に、私は一瞬、固まりました。
聞き流せなかった理由
これまで何度も読み聞かせをしてきましたが、
こんなふうにマイナスな言葉が出たことはあまりありませんでした。
教室の空気が、少しだけ変わった気がして…
私は迷いながらも、
「おいしいので、キショくはないですよ」
と一言だけ添えてから、続きを読みました。
正しかったのかどうかは、今もわかりません。
でも、どうしても聞き流せなかった。
あとから考えると、理由は3つ。
・雰囲気がその一言に引っ張られる気がした
・聞き過ごしたら、認めてしまうのが許せなかった
・この絵本を“キモイ本”で終わらせたくなかった
たった一言なのに、
私の心はずいぶん揺れていました。
大先輩の言葉
一緒に活動しているのは、自分の母世代の大先輩。
何十年も読み聞かせを続けている方です。
終わった後に、思いきって聞いてみました。
「あのとき、どうするのがよかったんでしょうか?」
すると、こんな言葉が返ってきました。
「2年生はその言葉を出すことがちょっと悪いヒーローになれる!とかあるのかもね。
私たちは、言葉の中でも、豊かな表現をたくさん届ける立場。
その思いを持ち続けましょう。長くお話会を続けることで成長してくれますよ!」
私は、ハッとしました。
正すことと、与えること
私は“その場を整えよう”とした。
でも先輩は、“もっと大きな時間の流れ”で見ているようでした。
一度の発言を正すことよりも、
長い目で見て、いい言葉をたくさん浴びせ続けること。
立っている場所が違うなぁ、と感じました。
それでも、私はまだ迷う
正直に言えば、
次に同じような場面があったら、また声をかけてしまうかもしれません。
でも今は、少しだけ違う目で見られそうな気がします。
「きしょい」と言ったその子も、
もしかしたら驚いた気持ちを、
とっさにその言葉で表しただけなのかもしれない。
豊かな言葉を与える、というのは
子どもを正すことより、ずっと難しい。
でも、その姿勢を忘れずにいたい。
読み聞かせは、
子どもだけでなく、
自分も育てられている時間なのだと感じた一日でした。
👇小学校での読み聞かせデビューの記事



コメント